
きのう、旅先での子供連れへのひがみの話をしたが、
よくよく思い起こしてみたら、これは自分の子供時代が
原因になっている。
私が子供のころは、テーマパークといえば大阪城公園の
ことであり、リゾートとは生駒山(登山)のことであり、
あるいは真田山公園の市民プールだった。
とにかく貧乏だったのと、父が山好きで、幼稚園のころから
リュックを背負ってしょっちゅう山登りに出かけた。
生駒山では、いつも会う登山者のおっちゃんに「毎度!」と
あいさつするくらい、本当に何度も登った。
私たちは、生駒山上に遊園地があることを知っていた。
が、もちろん行ったことはなかった。
ある日家族全員で、生駒山上まで登り、兄弟全員で
「遊園地、行きたい!行きたい!」と言ってみた。
父は、うちにそんな金はない!と、言いきった。
それでも、行きたい行きたい、乗りもん1こでもいいから、
と頼み続けると、父は少し考え、
よっしゃ、遊園地に入ろう。と言ってくれた。
登山疲れも吹っ飛び、テンションが上がった。
ところが遊園地の入口で、父は真剣な顔になり、
「通り抜けです、って言うから、今からうれしそうな顔はするな」
と、意味不明のことを言ってきた。
私たちはケーブルカーと反対側の入口にいた。
ケーブルカーの駅側の出入口まで、
遊園地の中を通り抜けて、駅まで行くだけ、と
いうことにする、と父は思いついたのである。
今でこそ、そんな言い訳は絶対に通用しないと思うが、
入場料を浮かそうという作戦だった。
私達一家は、いかにも疲れはてた善人の登山者です、
あとはケーブルカーで降りて帰るだけです、というふりをした。
係りの人に怪しまれ、乗り物には絶対に乗らないでくださいね、
と念を押され、ハイ、乗り物には絶対に乗りません、と
父が真面目くさった顔で答えていた。ではどうぞ、と入口を通りぬけた。
やったー!!!
見事、タダで遊園地に入ることに成功した私達は、
何に乗ろう、と走り出した。
ところが、父が「ここで遊びなさい」と言ったのは、
遊園地に入ってすぐの、林の中にぽつんとある、
どこの公園にもあるブランコの前だった。
私は瞬時に騙された!と悟ったが、
弟たちは「乗りもん1こだけ~1こだけ~」と駄々をこねていた。
「うちにそんな金はない!」と、また父は言った。
しかたなくブランコに乗り、すぐに飽き、
乗り物に乗ってはしゃぐ子供達を横目に見ながら、
私はがっくり肩を落として園内を通り抜けた。
電動でぐるぐる回るブランコがいっぱいの、素敵な乗り物があり、
私は、ものすごく乗りたかった。
家族全員で旅行に行ったのは、白浜のおばさんの家と、
友ヶ島だけ。
それも、私は九州かどこか、とても遠いところに行ったと
記憶していたのだが、大人になって友ヶ島は和歌山県に
あると知ってショックだった。
友ヶ島では、ふな虫がうようよいる岩場にテントを張り、
恐ろしかった。
夜は寒く、私たちは父が即席で新聞紙を切って作った、
エコな服を着せられた。
翌日、実は近くに民宿が何軒かあるのを見て、
そこに泊まっていた子供が、またうらやましかった。
私もふな虫のいない、布団のある部屋で、新聞紙ではなく、
浴衣を着て泊まりたかった。
しかし父のおかげで、私は今もテーマパークよりも山や海や
自然のところが好きだし、満点の星空の下で寝たり、
山いちごや炭酸水を山に取りに行ったり、
今思えば貴重な経験をさせてもらった。
けど子供のころは、もっといいところに行きたい、
お金持ちだったらなあ、と思っていた。
そして、今もそういう子供たちを見て思うのだ。
おまえら、いいのう、と。
だけど、大人になって、あくせく仕事をして、
自分の稼いだお金で行く旅行も、とても楽しいということも知り、
今は時々いいホテルにも泊まり、贅沢な旅もできるようになった。
あのころ、遊園地の乗り物一つにも乗れず、
情けない思いをした子供の自分に、
よしよししてあげたい。