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2016年 07月 25日 ( 1 )

まだ信じられないけど



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昨夜は一睡もできず、朝からナリと弟とおじいちゃんの家に行き、
おばあちゃんの無事を確認し、おじさんと話をした。

弟もほとんど寝ていないと言っていた。

5月24日、享年93歳。
おじいちゃんの生前からの希望通り、
心筋梗塞で苦しまずぽっくりと亡くなったらしい。

おじさんは穏やかで、どこかインテリジェンスというか、
ストイックそうな雰囲気のある人で、だから何を考えてるのか
よくわからないのだが(うちの弟はおじさんの持つ雰囲気と少し似ている。)
昔からそのままの丁寧な話し方で経緯を説明してくれた。


おばさんや私たちに連絡しなかったという理由は、
昨日の今日初めて知ってまだ錯乱していた私には到底納得できなかった。

生前おじいちゃんが密葬にしてほしい、
誰にも言わず迷惑をかけることなく葬ってほしい、
とおじさんに頼んだというのだ。


やはりそうきたか…。だけどそれが?
だっておじいちゃんはいつもそんな人でしたよ…。

小さい頃は来たかー!と喜んで出迎えてくれたけど、
晩年は私たちが会いに行くと電話しても、来なくてもいいと言ったり、
行ったら行ったで早く帰りと言われ、私たちは戸惑った。
それはおじいちゃんの強がりでもあり本心でもあった。
私たちに、いつもありがとう、来てくれてありがとう、
迷惑かけてすまん、お世話になって申し訳ない、と繰り返していた。

たとえおじいちゃんが本当にそう言っていたとしても、
最期にみんなで集まって冥福をお祈りするのと違いますか。
おばさんなんて、娘ですよ。
昨日電話で親の死に目に会えなかった、って泣いてはりましたよ…。

お葬式の意味をわかってますか。
お葬式は死んだ人だけのためではない。
現に私たちはおじいちゃんが死んだという実感もない、
この家におじいちゃんがいないことがまだ信じられない。
残された者の気持ちの区切りをつけるためもあるのではないか。

私がぼそぼそと話すのを、おじさんは黙って聞いていた。
だけど最後に、ご自分の判断は間違ってなかったと思いますか?
と聞いたら、はい。と言われた。

ただただ父親の遺言を尊重し、全うしたというかんじだった。
それは自己満足ですよ…と私はうなだれた。
それ以上もう何も言えなかった。

悪気や悪意が全くなかったのはわかる。
私はおじさんの人格も知ってるから、それはわかる。

だけど私はただ、最期に会ってありがとうと言いたかった。それだけなのに。




納得できないから今日一日中そのことについて考えていた。

今になって少し落ち着いたら、それぞれの立場や事情もみえてきて、
私なりに腑に落ちた(そう思わないと落とし所がない)ところもある。

私たちは孫であり、おじいちゃんから無償の愛を受けた。
私も無条件でおじいちゃんという存在を愛していた。

それは子が親に対しての気持ちとは、当たり前だが、
また違うのものだ。

今私が悔やむのは、今年に入って会いに行かなかったこと、
弟もナリも同じ気持ちだ。

もっと会いにいけばよかった、もっといろんな話を聞いとけばよかった。
申し訳ない気持ちで情けなくなる。

いつ死んでもおかしくない年齢だったのに、なぜかいつまでも
生きると思い込んでいた。

おじさんはその覚悟ができていたのかもしれない。

知らせてくれなかったのは本当に残念だったけど、
これからはお墓に行けば会えるのだし、
心の中にはおじいちゃんとの良い思い出がいつでも、たくさんある。
そう思うようにした。


今頃あの世でお父さんと会えたかな。
いろいろ話してるかなあ。

おじいちゃん、本当に大好きだった。
几帳面で真面目で心配性で苦労人で、気丈な人だった。

心からご冥福をお祈りします。
しょっちゅうお墓に行くから。待っててね。










by meruchiko | 2016-07-25 00:00 | 家族