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墓参る





久しぶりに弟たちと墓参りに行った。

まだところどころに桜が見える箕面の山の景色を助手席から眺めていた。

霊園に着くと下界のせわしなさなんて気にもかけていないように、

いつものごとく先祖達の眠る墓はのさばり、私たちを迎える。

父の亡くなった年齢と同じ、35才になって初めての墓参り。

ちょっと前に父のことをつらつらと書いたが、父が亡くなってもう23年もたつ。

私の人生の中で、父がいた時間よりもいない時間のほうがもうとっくに長い。

そのことに時々驚いてしまう。

父とは、たった12年の時間を共有しただけだった。

高校時代の友達ですら、もう19年のつきあいになるというのに。

私は父がどんな人間だったのか、今でもよくわからない。

しかし、存在している・いないにかかわらず、

自分の親がいったいどんな人間なのか、把握できる人(子供)はいるのだろうか。

もしかすると親というのは、永遠に知ることのできない存在なのではないか。

父の存在とつきあったのは短い時間だったが、私はこの先ずっと父の不在と

つきあっていくのだろうと思う。

いつも墓参りに行くたびに、手を合わせて心の中でうだうだと父に話しかけている。

(もう最悪!)と言うときもあるし、(超ハッピー!)と言うときもある。

店のことやその他の家族や自分自身の報告などして、

最後はバイビーまた来るね、と言いながらあっさりと立ち去る。

名残惜しいような、しかしこっちは何やら忙しいのでこのへんで。

私にとって父は、すでに長い旅に出た人である。

きっとあの世で元気に酒を飲んで暮らしているはずだから、さみしくもないのである。

私はきっと、父がどんな男だったのか知らないままだろう。

それは彼がもういないからではなくて、だれかと関わるということは

そういうことなんじゃないかと思うのだ。

知り得ない人を、その存在も不在もまるごと引き受けることなのではないかと思うのだ。











by meruchiko | 2010-04-11 00:00 | 家族 | Comments(0)