きっと大丈夫
2010年 01月 22日
二日酔い度 ★
「果たして恋愛とは一言で言うと何ですか?」
と、恋愛検定試験の問題で出題されたら、
私はこう答える。
それは「我を忘れることである」と。
たった一人の異性(同性の場合もあるけど)
それは「我を忘れることである」と。
たった一人の異性(同性の場合もあるけど)
に意識を集中し、
その一挙一動に一喜一憂し、
その一挙一動に一喜一憂し、
他人から見たら滑稽であったり、
みっともなかったりするその状態は、
まさしく「我を忘れている」。
「精神的に酔っぱらってる」
みっともなかったりするその状態は、
まさしく「我を忘れている」。
「精神的に酔っぱらってる」
と言ってもいいくらいだ。
そういうと、私は年がら年中、
「我を忘れて酔っぱらってる状態」である。
もう「実際のしっかりした我」
そういうと、私は年がら年中、
「我を忘れて酔っぱらってる状態」である。
もう「実際のしっかりした我」
というものが何なのか、
思い出せないくらいだ。
だから私は、「しっかりした我を持っている
思い出せないくらいだ。
だから私は、「しっかりした我を持っている
人」というか、
「我を失うほどの勇気を持っていない人」
「我を失うほどの勇気を持っていない人」
がうらやましくもあり、
そんなもんが本当の恋愛なのか?
そんなもんが本当の恋愛なのか?
と疑ってるふしがある。
「ちょっとあの人、おかしくなったん
「ちょっとあの人、おかしくなったん
じゃないの?」とか、
「友人として大丈夫かと心配」とか、
「友人として大丈夫かと心配」とか、
実際のその人を知っている周囲の人を
不安に陥れるほど変になってこその、
「本当の恋愛」だと思っている。
(なぜか私の周りはそんな人々ばかりである。)
そして、よく「恋人こそ、その人の
「本当の恋愛」だと思っている。
(なぜか私の周りはそんな人々ばかりである。)
そして、よく「恋人こそ、その人の
真実の姿を知っている」
などというけど、それは逆だと私は思う。
その恋人が知ってる相手の姿は
などというけど、それは逆だと私は思う。
その恋人が知ってる相手の姿は
「我を忘れている姿」であって、
実際の真実の姿は見ることができないからだ。
毎日、職場できちんと接している
実際の真実の姿は見ることができないからだ。
毎日、職場できちんと接している
人たちこそが、彼の「普通の姿」を知っているのだ。
しかし、この「我を忘れる瞬間」こそ、
しかし、この「我を忘れる瞬間」こそ、
人間にとっては自分の新しい面を発見し、
自分自身を再構築できるチャンスなのかもわからない。
恋愛こそが今までのすべてをリセットでき、
自分自身を再構築できるチャンスなのかもわからない。
恋愛こそが今までのすべてをリセットでき、
違う価値観を持てる最後の砦だと思う。
恋と酒には酔っ払ったもん勝ちだよ。
恋と酒には酔っ払ったもん勝ちだよ。
by meruchiko
| 2010-01-22 00:00
| 恋愛
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